無錫歴史

無錫は有史以来非常に長い歴史が有ります。有史以前は6〜7000年前からの居住や農耕の跡があり、ここが呉の発祥の地の一つとなりました。呉は製鉄など金属の精錬・加工と農具・武器への利用で中原の国々を圧倒しましたが、無錫も元来はスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市でしたが、余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったといわれています(但し諸説有り)。
紀元前202年、前漢はこの地に無錫県を置き、隋時代に建設された大運河が無錫を通り、以来、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市でした。また、明末には顧憲成によって東林書院が建てられ東林派の拠点となりました。
清代後期には、無錫は周囲の農産物の集積を背景に、その米市場の相場の影響力を江蘇省の範囲を超えるまでになりました。また紡績業や繊維産業が発達し、無錫は「布碼頭(布の港)」と呼ばれるほどでした。辛亥革命までの間に食品や繊維などの民族資本が形成され始めました。こうした経済の発展は文化の発展も伴い、多くの文人らが無錫から生まれ、無錫には寄暢園など非常に優れた庭園などが今も残っています。
1912年、中華民国は無錫県を置き、大小の資本の本拠地となった無錫は「小上海」といわれるほどの商業が繁栄しました。
1937年、日中戦争により、日本軍は無錫に入城。
1949年4月23日、国共内戦の末、中国人民解放軍が無錫を占領した。1953年無錫は江蘇省の直轄市となりました。
(出典:Wikipedia)

☆彡桜友誼林(無錫友好桜)について☆彡
無錫市では毎年3月の下旬に『無錫市国際桜まつり』が開催されます。
これは、太湖の畔に植えられた3万本余りに及ぶ満開の桜の花を愛で日中友好親善を深めよういう催し物です。
主に無錫市政府が主催していまして、無錫日商倶楽部もこの催し物に協賛しています。
さて、それでは、桜友誼林(無錫友好桜)はどのようにして生まれたのでしょうか。
遡ること30年前、1986年にかつての日中戦争を体験された長谷川清巳氏が、「子々孫々」までの友好を願い、平和のシンボルの桜を植えることを提案しました。
この活動は、無錫市政府の協力及び日本での募金活動の結果、その後3年間で当初の予定であった合計3万本余りの桜が植えられました。
現在では、桜友誼林公園として無錫市民及び観光で来た人に憩いの場を提供しています。
尚、長谷川氏は、なぜ桜の木を植える場所に無錫を選んだのかについては、『風向明媚な景勝地(中国十大景勝地の一つ)で琵琶湖の3倍半もある大湖があり、その雄大さは実にすばらしく気分が落ち着き、やすらぎの憩いの場所に適している。古い歴史があり観光地で名所も多く、豊な庶民の心の通う交流の場所に適きしている。日本に近く、気候風土も良く似ていて、環境が良く、共通点が多くて交通の便が良い。このようないくつかの良い条件が揃い、心が豊になり、気が落ち着き、やすらぎの憩いの場所として、私は脳裏に良い印象が残っていたからです。(桜友誼林完成10周年記念報告書  発行に当たって から抜粋)』と記されています。
無錫に来られましたら、一度訪れてみては如何でしょうか。